東京地方裁判所 昭和25年(ワ)5549号 判決
原告 矢口ハナ
被告 石高栄之亟
一、主 文
被告は原告に対して、東京都杉並区井荻二丁目百五十二番地所在木造瓦葺平家建一棟建坪二十坪を明渡すことを要する。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は、原告において金五万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決及び仮執行の宣言を求める旨申し立てその請求原因として、主文第一項記載の家屋(以下本件家屋と略称する)は原告の所有物であるが、原告は昭和二十年四月頃、被告に対して、右家屋を住居に使用の目的で賃料は一ケ月二十四円の約定で、期間の定めなく賃貸し、賃料はその後昭和二十五年三月以降は一ケ月金四百円に改めた。
被告は妻子五人と共に本件家屋に居住していたが昭和二十四年三月頃から妻子を郷里新潟県に帰し、被告自らは東京都杉並区井荻三丁目五番地天徳温泉こと訴外田辺初枝方に同居し、昭和二十五年四月頃からは主食の配給等を受ける場合も右田辺方に移し、本件家屋を殆んど住居として使用せず、空家同様に放置しておくため、他人の侵入、失火、盗難等の危険に曝され、しかも本件家屋は常に戸閉めにしておくため、通風採光等が全く遮断され、畳その他の造作も朽廃しつつある状況でこのようなことは被告が本件家屋の賃借人として負うべき管理保存の義務に著しく違背しているし、且つは賃貸借契約の趣旨である住居として使用する目的であることに反してその用法に従つた使用收益をしないものであり、更に現在の社会情勢からみて本件家屋を数年に亘つて空屋同様に放置しておくことは社会道義上許されないことと云うべきであつて、本件家屋の賃貸借関係の存続を原告に強いることは、賃貸借関係の基礎である相互の信頼関係を破壊し、信義誠実の原則に反するものである。
よつて原告は昭和二十五年八月十一日内容証明郵便をもつて被告に対して、右のような被告の債務不履行及び信義則違反を理由として本件家屋の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、右書面は翌十二日被告に到達したから右賃貸借契約は即時解除されたものと云うことができる。仮に以上の様に即時解約の効果が発生しないとしても、原告は同年八月十一日被告に対して内容証明郵便を以て、本件家屋の賃貸借契約の解約申入れをし、右書面は翌十二日被告に到達した。而して原告は右解約申入れをするについて、本件家屋を自ら使用する必要その他正当な事由があるので、本件家屋の賃貸借契約は右申入れの日から六ケ月を経過した昭和二十六年二月十一日を以て終了した。即ち
(一) 原告の次女靖子は訴外星光一に嫁し、同人夫婦はその長男と共に目下北多摩郡谷保村に居住し、右星は都内銀座にある大成建設株式会社に勤務しているが、通勤に二時間を要し、不便なので、右靖子等を原告方に引取つてこれを本件家屋に居住させる必要がある。
(二) 被告は前にのべたように、妻子を郷里に帰し、自らは天徳温泉こと田辺初枝方に居住して、そこで生活しているので、右家屋を空屋同様にしておいてあるからこれを明渡したとしても行先に困ることもないし損害をうけるようなこともなく、むしろ本件家屋を必要としない状況にある。
(三) 更に被告は前にのべたように本件家屋の管理義務を怠り、又その用法に従つた十分の利用をしないで放置しておき、且つ原告において本件家屋賃貸借契約の存続を不当と主張し得るような信義則違反があるから、原告としては今後も引続いて本件賃貸借契約を継続してゆくことは不能である。
よつて原告のした解約申入れは有効なものであるから被告は本件家屋を原告に明渡すべきである。それにも拘らず、被告は依然として本件家屋に家財道具等をおいて、これを占有しているから原告は被告に対してその明渡しを求めるために本訴に及んだ次第であると陳述した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、原告の請求はこれを棄却するとの判決を求め答弁として原告主張の請求原因事実中、本件家屋が原告の所有であり、被告が原告主張の頃から原告主張のような定めで右家屋を賃借して、占有して使用していること、原告主張の日にそれぞれ契約解除及び解約申入れの意思表示のあつたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。
原告は本件家屋の賃貸借契約の解除又は解約申入れが何れも有効であると主張するけれども右は次の理由によつていづれも無効である。即ち
(一) 被告は本件家屋を賃借以来家族五名と共に居住していたが、被告の郷里新潟県に住む実父の重病看護のため昭和二十四年五月頃から妻子は郷里に帰つたがその後実父の死亡そのあと始末や家業の農業経営の手伝などしているので、その間被告は被告の甥と本件家屋に同居しているが、被告は、昼間は都下三鷹町の日本無線株式会社に勤務し夜間は天徳温泉こと田辺初枝方に傭はれて勤めているものであつて、被告自身が右田辺方に同居していることはないし配給を受ける場所を移したのは単に食事の都合上からであるに過ぎない。そして被告の甥も亦勤めているため昼間は殆んど留守になることが多いので、不在中は隣家にその管理方を依頼してあるし、右天徳温泉から番頭女中などがきて毎日掃除をしているから原告主張のように空屋同様にして戸閉めにしておくようなこともなく、本件家屋を住居として使用しているものである。そこで被告には管理義務を怠つていることもなく、亦信義則に反することもない。
(二) 被告はさきにのべたような郷里の事情で夫婦親子が別居しているのであるが、その事情が解決すれば、家族は再度上京させて生活を共にすることは言うまでもないことであつて、その為め被告は毎月賃料の支払を欠くことなく支払つて本件家屋を賃借しておくのであつて、これを明渡したならば被告等夫婦親子が将来再び同居しようとする希望は全く奪はれて、被告全家族の前途を不安にするものであつて人道上許されない。
(三) 原告は自ら使用する必要があると主張しているが原告の住居は八畳、四畳半、四畳半、三畳の四間あり原告とその長男の二名のみで使用しているから原告主張の次女の夫婦子供を同居させる必要があるとしても、右住居を使用すれば足り殊更に本件家屋を使用しなくても何等差支えを生じない。
以上の理由から原告主張の解除又は解約の申入れはいづれも権利の濫用であるから原告の本訴請求は失当であると陳述した。<立証省略>
三、理 由
本件家屋が原告の所有であること及び被告が右家屋を住居に使用の目的で原告主張の頃から原告主張のような約定で賃借して、占有使用していること、並びに昭和二十五年八月十二日に原告主張のような契約解除の意思表示及び解約申入れが原告から被告に対してなされたことは当事者間に争いのないところである。
そこで先づ、原告のした本件家屋賃貸借契約解除の意思表示が有効なものであるかどうかを判断するに、証人小美濃政吉、同土田石松、同木下はるえ、同岡部シゲの各証言及び原告本人訊問の結果を綜合すると次のような事実を認定することができ、被告本人訊問の結果中右認定事実と矛盾する部分は右各証言に照らして信用しない。即ち、被告は本件家屋を賃借後家族五名と共に居住していたところ、昭和二十四年三月頃から妻子を郷里の新潟県に帰し、その後は被告は昼間は日本無線株式会社に勤め、夜間は天徳温泉こと訴外田辺初枝方に手伝いにいつており、その為昼間は殆どつねに本件家屋は不在となり夜間もほぼ同様であつたが、多少は本件家屋に起居していたものであつたが、昭和二十五年春頃から配給を受ける場所も右田辺方に移し、その後は被告は殆ど右田辺方で起居し、昼間の日本無線株式会社への勤務もそこから通つているものであつて、昼間は勿論夜間も殆ど右家屋に居住することはないばかりでなく、最近においては出入すらも殆ど稀な状態となり、そのために、本件家屋は常時締切り、無人のままに空屋同様とされたまゝになつているものである。
ところで現下の我国の社会情勢において家屋は極度に利用を図らなくてはならないことは顕著な事実であり、長期に亘り継続して行はれる賃貸借関係においては、賃貸人賃借人相互の信頼関係を基礎として協力して家屋の用法に従い信義と誠実とを以て互いの立場を尊重しつつ、円満な使用收益を図らなければならないことは云うまでもないことである。而して右認定のような事情の下において、被告が本件家屋を空屋同様に放置しておくことは、所有者である原告に対して、或いは不測の失火又は家屋の諸品の盗難等による損害を生じさせるような虞れが極めて大であり、亦それによつて家屋の朽廃の速度を早めるであろうことも容易に想像され得ることであつて、被告は賃貸借の通常の関係における使用收益をしていないし賃借人として要求される家屋の管理保存義務を怠つているものと云うべきであり、相互の信頼関係に背くものと云はなければならないので、責めらるべきは勿論であるが、果して、この程度の事情があることをもつて賃貸人が反省を求めるための一回の催告をも為さず、直ちに賃貸借契約を解除することが許されるものとはにわかに断定し難いので、原告のした本件家屋の賃貸借契約解除の意思表示はその効果を発生し得ないものと云うべきである。よつて右解除の有効を前提とする原告の請求は理由がない。
そこで更に原告の主張する自ら使用する必要その他正当の事由に基づく解約申入れの当否について判断するのに原告本人訊問の結果によれば原告の次女靖子が訴外星光一に嫁し、夫と共に都下北多摩郡谷保村に居住し、夫は都内銀座の大成建設株式会社に通勤しているものであることを認めることができるが、単に通勤の便が悪いからと云つて、殊更に原告が同女等家族を引取つて、本件家屋に居住させ度いといつてもそれだけでは他に賃貸中の家屋の賃貸借契約を解約し得る事由があるものとは認め難い、然し乍ら、さきに認定したように被告は既に昭和二十四年四月頃から妻子を郷里に帰し殆ど本件家屋を住居として使用していないような状態にあり、昼夜の別なく、空屋同様の状態で放置しておくことは、賃借物をその用法に従つた使用をしないばかりでなく、賃借人として要求される管理保存の義務を怠つているものである事実を併せ考えると所有者である原告としては、いつどのような不測な事故によつて本件家屋の効用を毀滅させられるとか家屋附属の諸品を盗まれるかも知れない不安な状況の下に引続き本件賃貸借関係を継続しなければならないこととなつて、甚しく当事者間の衡平を失するばかりでなく住宅事情が依然として好転していない現況において、このような使用を被告に今後も認めることは、甚しく社会通念に反することであり、原告に不当の忍従を強いる結果ともなるものと云うべきであり、被告が本件家屋を明渡したとしても直ちに住居の安全を侵害されることになるものとは云い難い。尤も被告が近い将来に妻子を上京させるために本件家屋を必要とするか否かについても、右の認定事実と弁論の全趣旨に照らして、遽かにその必要のあることを首肯し難く、この認定に反する被告本人訊問の結果は信用し得ない。
このように原告、被告双方の事情を比較考慮すると、原告は本件家屋の全部について、前記解約申入れをするについて、正当な事由があるものと云うべく、従つて原告が被告に対して、昭和二十五年八月十二日解約申入れをした日から六ケ月を経過した昭和二十六年二月十一日を以て、本件家屋の賃貸借契約は終了し、被告は原告に対して、右家屋を明渡す義務があるものと云はなければならない。
よつて被告に対して、本件家屋の明渡を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言については同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 加藤令造)